かいちょうのブログ

大学生です。私の心象風景をつらつらと表現。できる限りおもしろく。

10円玉は兵器になり得るという話

高校時代の私は、同じテニス部の3人とよくつるんでいた。SNSで彼女ができたAくん。天パのBくん。そして、女優のどんぐりに似ている今回の主人公Cくん。

 

 

高校は家からチャリで30分かけて通っていた。同中だった彼らとは校区が同じで、帰り道はしばらく同じだった。夏は日が長く、部活が終わるのも遅くなるため、家まで我慢できずに途中で晩飯を食べることがよくあった。誰もバイトをしてないもんだから、せいぜい牛丼屋が関の山である。

 

ある日、いつものようにオレンジと黒の看板を目指した。甲高いブレーキ音をほぼ同時に鳴らし「ズシャアァァ」と口で言いながら止まる(軽く死ねるポイント①)。奥の4人席に腰掛け、誰も迷うことなく、スムーズに注文を済ませる。

 

Cくんはいつも牛丼に卵をトッピングし、白身を皿によけて黄身だけを使用する。慣れた手つきで、蓮舫のごとくシビアに白と黄を仕分ける。私はそれを見ていつももったいないなぁと思っていた。

 

彼らとは精神年齢も同期だった。高校生にもなって「立体機動装置だ!!」 「ぐはっ!!」「トランザムッ!!」とか言ってた(軽く死ねるポイント②)。

 

そんなこんな話してるうちにお会計。Cくんの取り出したサイフは布製、チェーン付き、マジックテープの中坊の宝石箱。さすがにその頃は革のサイフに移行していたので、そこは一緒にしないでほしい。

 

Cくんはいつまでも小銭をがちゃがちゃ混ぜている。米でも研いでいるのか。やっとこさ掴み取り、彼は握った拳を差し出した。

 

するとその刹那、彼の拳から1枚の10円玉がはい、ひょっこりはん。そのまま勢いよく飛び出し、先ほど仕分けた白身の海へとダイブした。

 

思わず吹き出しそうになるが、それを待たずに時は流れ次の展開へ。彼はおもむろに、その白身コーティングされた10円玉に手を伸ばす。

 

 

 

彼はじっと見つめる。

 

 

 

そして、彼は何も言わず、その10円を店員さんの手に置いた。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

何が起きたかはコンマ0.01秒で情報処理され、気がついたら笑っていた。笑い始めて数十秒で涙が出ていた。直前に感じた不穏な空気の正体はこれだったか。

 

そして、普段ならすぐにレジに仕舞われるはずの10円玉は、店員と共にバックヤードへと消えていった。その頃には息もできなくなっていた。私たちの周囲は一時的に酸素濃度が著しく低下。世界初の、牛丼屋での高山病発症事例になってもおかしくはなかった。

 

そして当の本人は一切表情を変えず、何食わぬ顔で店を出た。この時には心の臓は数秒間止まっていたかもしれない。

 

 

10円玉で笑い死にかけた話でした。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

探し物はなんですか?見つけにくいものですか?

大学生の頃は悩みもそんなになく、「あの頃は楽しかったなぁ」と思えるスーパーモラトリアムでした。その他に楽しかった時期はいつだったかと考えたとき、僕は小学生の頃を思い出します。

 

あの頃は遊ぶのが仕事だったと今は思います。ドッジボール、野球、ひみつきち、トランプ、UNO、ちょろげボール、探検ごっこ…etc

 

特に野球は一時期ほぼ毎日やってて、カミナリ親父の家にホームランブチ込んでよく怒られてました。
昼休み中は必ずドッジボール。僕は車イスの友達を護る「うっちー防衛隊」の一員でした。
ちょろげボールも流行りました。これは全国でも社会現象になったのではないでしょうか?

 

 

…え?ちょろげボール知らない…?…え?

 

 

あれか、地域によって呼び名が違うパターンのやつですね。まぁ昔の遊びって呼び名が定まってないメジャーな遊びって多いですしね。指スマとかと同じ括りですかね?

 

さすがにイメージ画像見たらわかります?

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これです。

 

世間の流れと同じく、当然うちのクラスでも大流行。やっぱりうちでは基本の遊び方が主流でしたね。休み時間でちょろげボールをぶつけ合って最後に持ってた人は授業中机の上に置いておくっていうね。当たったのがチャイム鳴る前か後かでよく揉めるやつね。
思い出してきました?懐かしいでしょう?

 

たまに趣向を変えて、飛距離を競ったり、振り回したり蹴ったり、公式の遊び方は一通り試しましたね。

 

そんなちょろげボールがある日無くなりました。クラス内は大騒ぎ。すぐに総会を開き、有識者会議を執り行いました。
そこで我々は「ちょろげボールがなくなりました。心あたりがあるひとは◯年△組に持ってきてください」と書いた紙を学校中に貼って回ることを決定し、上級生のフロアにも遠慮なく貼って回りました。


監獄「学び舎」には印刷技術がなかったので1枚1枚手書きでした。途中でふざけ始めて、カタカナで宇宙人語みたいに書いたり、語尾にハートマークをつけたりしました。今思えばこれが僕の人生最初で最後のネカマだったのかもしれないですね。

 

数日後、HRの時間で担任が「誰が貼ったんや」と金剛力士像みたいな顔で例のポスターを取り出しました。

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僕たちは皆、山田寺仏頭みたいな顔になりました。

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怒られた理由は宇宙人語で「モッテコイ」と命令口調にしたことです。書いたのは僕ではありません。だけど仲間なのでみんなで仲良く怒られました。


結局ちょろげボールは最後まで見つかりませんでした。全数回収案件となった学校中の貼り紙を使ってすぐに新しいちょろげボールを作りました。探す意味は全くなかったわけです。

 

「塗る」という行為ができない

どうしても嫌だ。肌になにかを塗るという行為が。

 

何で?などという下らない質問はやめましょう。嫌なものは嫌なのだ。

同じおバカタレントでも重〇さと美はいいけど〇木奈々は嫌いみたいなことだ。

 

特にオロナイン軟膏や日焼け止めなどのクリーム系のやつが受け付けない。むしろ有害なものに見える。

爪の間に入り込み、そして塗り終わった指に残る微かなぬめり。この1文だけでここまで人を不快にさせるか。

 

人が塗っているのを見るのも駄目だ。不快なものを見せるな。そっちがその気ならこっちも節足動物の足の部分見せるぞ。その時の震えを体に刻み込め。

 

高校の文化祭でライオンキングの劇をやった時、演者全員顔にペイントしよう!とか言い出したあの頃の陽キャは、私が司法のトップなら禁固刑に処すだろう。

断固拒否する私に向けられた、クラスメイトのキンキンに冷えてやがる視線。だが全く後悔はしていない。日陰者の私が、多勢の中で唯一我を通した瞬間であった。今思い返せば甘美な瞬間であった。

 

そしてよくある悪ふざけとして、男がメイクして女装するなどがある。これが蔓延する世界になった時、私は政界に進出するだろう。私がそれをする時は仲間が敵に拘束され、奪還のために誰かが変装し潜入、囮となって敵地を撹乱する必要がある時ぐらいだ。

 

私の潜在意識には、塗るという行為に対してどんなトラウマが刻まれているのだろうか。

私の覚えていない過去で、ケツにハチミツを塗られ山に一日中吊るされたりしてたのだろうか。

友達にしてもらったペイントがたまたまテロ組織幹部と似たペイントで指名手配でもされたのだろうか。

日焼け止めを塗るのに夢中で打球に気がつかずエラー。それが決勝点となり我が私立ニャホニャホタマクロー学院は県大会出場を逃したのだろうか。

 

今後、私が肌荒れや虫刺されに悩まされていても、そういった塗り薬はよこさないでください。とにかく肌に何かを塗る行為はやめてください。それだけ伝わればこのブログは十分です。

 

 

吉瀬美智子ニベアのCMだけは観れます。

 

 

映画レビュー 「WOOD JOB!神去なあなあ日常」

 

一回やってみたかったんですよねーこういうの。

 

今回レビューする映画は「WOOD JOB!神去なあなあ日常」という映画です。

この映画の原作は三浦しをんさんによる小説「神去なあなあ日常」で、本映画は原作を読んだ後に観た映画になります。と言っても数年前とかに読んだので、原作を思い出しながらの鑑賞でした。

 

あらすじとしましては、浪人が決まった高校生(染谷将太)が職業パンフレットに載っていた女性(長澤まさみ)に惹かれ、ド田舎で1年間林業を研修のような形ですることになるというものです。

 

結論から言います。原作の方がいいです。原作の良いところを2時間の映画にうまく詰め込めていない印象を受けました。 

 

原作の良かった点として、1つは村の人たちの描写だと思います。

三重県の神去村という辺境の地が舞台となっていますが、原作によれば村人は「なあなあ」という言葉をよく使うそうだ。「ぼちぼちいこう」「落ち着こう」というような意味があり、村人たちは皆のんびりとしているようです。

また、林業というものは100年も前の木を切り落とし、それを売ることを生業としており、自分たちが植えた木が切り落とされ使われるのは自分たちが死んでからのことだという。長い年月をかけた営みである林業というものが、村人のなあなあな生き方を形成してるようだ。

このような村人の人柄なんかが随所で見受けられて良かった記憶があります。

 

2つ目は主人公が村人たちに認められるまでの過程です。

作中では林業の世界は人が不足しているため、宿や食事を無償提供し、若者の林業従事者を増やそうという取り組みを進めてはいるが、やはり長く続く者は少なく、主人公も村の人からは「どうせすぐにいなくなる」「冷やかしならやめろ」といわれます。

それでも色々な経験を経て少しずつ成長していき、村人からも認められるようになります。このすぐには認められないが、着実に前に進んでいるような主人公が応援したくなるような存在としていてくれました。

 

しかし、本映画はただ単に、「もしも都会育ちの若者がド田舎で林業をしたら」みたいな、モニタリングみたいな映画に終始していたような印象を受けた。村人の人柄についてはあまり触れられず、主人公の成長もじっくりと描写できず、あまり感じられませんでした。原作では物語の核の部分なのではないのかと思うのですが…(なあなあ はタイトルにもなってるぐらいだし…)。

これも原作の良いところなのだが、村人は非常に信心深く、この「信仰」の要素が物語全体において非常に大きな役割を果たしているが、映画ではこの点も「おかしな村だなぁ」というだけの要素に成り下がってしまっているような気がしてしまった。

 

しかし困ったことに、「都会っ子の職業体験バラエティ」として観るならば、決して退屈な映画ではないように感じた。それはひとえに主人公役を演じた染谷将太の存在が大きいと感じる。携帯も繋がらず、街まで降りるのに車で2時間。毎日汗だくでドロドロ。ハブやマムシももちろん出る。そんな環境に放り出されたヒョロヒョロ都会っ子を表情や声、立ち姿で見事に演じていた。

あと、伊藤英明と作業着が似合いすぎる。

 

 

ほとんど原作の話になってしまった。すいません。

 

 

 

 

尿意、そして乱れる心。

「今から尿検査を行います。」

その時私の頭の中はひどく錯綜していた。そして、瞬きをする間にそれらは1つにまとまり、私に辛い現実をつきつけた。

 

「ついさっき、トイレ済ませてしまった…」

 

この日は会社の健康診断がある日であった。時間がきたので業務に一区切りをつけ健康診断へと向かった。

業務時間中、私はすでにトイレを我慢していた。最初はめんどくさいからという理由で我慢していたが後半になってくると尿意をねじ伏せようという一種の闘争心が芽生えていた。

そして健康診断を迎える直前に、私は心が折れるまで押さえつけてやった尿意とかいう無礼者を解放してやった。そして私は晴れやかな気持ちで健康診断に臨んだ。

 

「まずはじめに、尿検査を行います」

 

ん?

 

「このカップに入れて持ってきてください」

 

え?

 

「少しで大丈夫ですので」 

 

おれはすぐに尿意さんに電話した。もしもし尿意さん。こちらの不手際ですが、すぐにこちらまで戻ってきてくれませんか?降車駅を間違えました。もう一駅先でした。交通費は支給します。戻ってきてください。

 

そんな声は届くはずもない。

「すいません、今さっきしちゃったんで、出ません」

「え?」

「いや、あの、出ません」

「ほんの少しで大丈夫です。出してください」

「とにかく、でません」

「…尿検査は最後にして、他の検査を先にお願いします」

 

人間は肝心なところで尿が出ないと、言いようもない焦燥感に駆られるということがこの時分かった。他の検査の合間にはとにかく水を飲んだ。もし仮に3年間ヤクルトしか飲めない修行を終え、ついに水を飲む日が来た時、私はこの日のことを思い出すのだろう。ナルトの世界ならチャクラを溜めているという言い訳ができるのだろうが、ここは辛く厳しい現実世界。食堂のおばちゃんからの視線は真冬の海より冷たかった。

 

もちろん、水を飲んだ後は僅かな希望を胸にトイレへ赴き、構えた。

飲んでは構え、飲んでは構え。私は本当に何かしらの修行をしているのではないかと錯覚した。修行は絶えぬ模索の業。意味もなく腹を押した。お尻に力を入れてみた。痛いだけだし、屁が出るだけ。この放屁は試合終了の笛である。そう感じた私は全てが始まった、あの受付へと還御していた。

 

「でません」

 

か細く拠り所のない声は、誰が聞いても私の疲弊しきった心を視認できるだろう。

 

「ほんの少しでいいんです、でませんか?」

でない。

「もう一度頑張ってみてください」

頑張るって何を

「水をたくさん飲んでみてはどうですか」

ポツポツと降る冷たい雨は私の心に嫌な寒気を感じさせた。そして私はこの長雨に心を乱していることに気がつく。

 

もう全部やったよ。何度も何度も、何度も繰り返した。未来を変えようというその一心で。だけど現実は違う。アトラクタフィールドの収束により、どうやっても尿が出ない世界線に帰結してしまう。今の私になら安西先生も諦めなければなどとは言わないだろう。私は呟いた。

 

「もう、でません」

 

か弱すぎるその一言はタンポポのように静かに溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

絶叫マシーン大好きとかいうヤツとは永遠に分かり合えない。

みなさん、遊園地やテーマパークの類は好きですか?

JKが制服で行ったり、カップルがおそろコーデで行ったり、京都大作戦に行けなかったサルエル軍団たちが行く、あそこです。私にはそんな華々しく賑やかなリア充空間は縁のないものだと思ってます。

そんなインキャ大学生の私にでも、そういった所に行きましょうと誘ってくれる友人はいるものです。しかし、私にはその誘いを決して受け入れることができないのです。これには理由がある。

 

みなさんは絶叫マシーンというものに、どれほどの魅力を感じているのだろうか。スリルってやつが味わえるのか?そんなものは布袋寅泰だけでいいんだよ。大声を出したいのか?カラオケに行け。「お腹がフワってなるのがええねん!」。フワフワしてるのはお前だよ。

 

はっきり言おう。絶叫マシーンなんてク◯喰らえですわ。

 

なんでそう思うかって?冷静に考えてくれ。

 

 

アレって、落ちるでしょ?

 

 

絶叫マシーンの危険性

時速100km近くで走る乗り物に体むき出しで乗らされた挙句、回転とかひねりまで加えられて、よくも平気でいられますよね。そんなもんフィギュアスケートだけでいいんですよ。彼らの3回転トーループとかも百発百中じゃないでしょ。ジェットコースターが落ちたら、まず助からないでしょ。乗ってる人たちはみんな内ポケットに遺書書いて持って行ってるのか?

もっといえば、そんな殺人マシーンに安全バー1つのみを頼りに乗れなんて無茶な話ですよ。とりあえず「安全」ってつけとけばいいって思ってんの?安全区域とか、安全ヘルメットとか、安全日とか。なんだこの国の安全という言葉に対する信頼度は。

なぜお金を払ってまで命の危険に晒されなければならないのか。「絶叫マシーンほんまに楽しいよな!」などという命知らずは、1度ウミガメの産卵シーンでも見て命の大切さを学ぶべきだ。

 

 

絶叫マシーンを巡るトラブル

絶叫マシーンに乗る人たちって、乗れない人を無理やり乗せようとするでしょ?これが非常にタチが悪い。だいたい「慣れたらいける」ってなんだよ。コンタクトレンズかよ。誘ってる側は軽いノリで誘っているのかもしれないが、こっちは割とマジトーンで嫌だと言ってんすよ。絶叫マシーンに乗る乗らないの口論ほど危険なものはないですよ。もし絶叫マシーンに平安時代の貴族が乗ったら「絶叫(ぜっきゃう)の乱」とか絶対起こるよ?テストに出るよ?

あとどうでもいいけど、ジェットコースターの起源は16〜17世紀のロシアで貴族の遊びとして行われてた「氷すべり」っていう遊びらしいよ(諸説あり)1つ賢くなった。やったね。

 

 

あと、絶叫マシーンの構造から、作った側の謎の自信が見え隠れしていると思う。

何で作った側はあれが最も安全な形だと思ったのだろうか。落下防止ネットとか敷かないでいいの?命綱とかつけないの?スリルを求めるとはいえ、それぐらいしてもバチは当たらないでしょ。作り手は、落ちた時に被害を最小に抑えることも考えた方がいいと思うんですよ。あの設計だと「落ちない自信はあるけど、落ちたら逝ってらっしゃい」って感じですよね。あんな乗り物に全てを託して、「あー楽しかった!」って言って帰って来れる人の気が知れないです。

だいたい遊園地には絶叫マシーン以外にもたくさんアトラクションがあるのに、敢えて1番死のリスクがデカいものを選ぶ必要はないでしょ。

 

地に足つけていこうぜ。ゴーカート最高!

 

私の音楽談話- Mr.Children-

徹夜麻雀をしたあの日から、昼夜逆転生活を続けています。AM6:25。睡眠という煩悩を捨てた私は現在、無限に感じる時間を持て余している。「不老不死なんてちっとも幸せじゃない」みたいなバトル漫画で主人公が悪役に言ってそうなよくあるセリフをなぜか思い出した。

悪役になりたくてなった訳じゃない私は「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないか」と全人類の心の中に住むリトルえなりかずきに代弁してもらう。

 

今回は、暇なので私の好きなアーティストや思い入れのある曲についてダラダラと綴っていこうかと思います。

 

今回取り上げるアーティストはMr.Childrenです。私が音楽を好きになるキッカケになったアーティストは間違いなくミスチルであると言えよう。

 

私がこの音楽に出会ったのは中学3年の頃です。

それまでの私は音楽に一切興味がなく、部活に明け暮れ、空いた日は部活の友達と家電量販店で永遠にモンハン2ndGをして「なんで大砲の弾運んでる時にイーオス飛んでくんねん」とキレたりするだけの日々を送っていました。イーオスがわからない人はモンハン2ndGを50時間はプレイしてからこの記事に戻ってきてください。

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そんな私はある日ミュージックステーションをなんとなく見ていました。そこでミスチルの曲が流れてきて、その時私は母親に「ミスチルって名前よく聞くんやけど、有名な人なん?」とたずねました。この瞬間が私が音楽に興味を持つに至る一番根源的なものであったのだろう。

 

さらにこの時期には、遅ればせながら我が家にもパソコンが導入されたのです。新しいものを見せるととりあえず騒ぐチンパンジー野郎な私は初めて使うパソコンなるものに魅了された。

 

まず何をしようかと考えた。そこで動画を見ることを思いつき、次に何を見ようかと考えた。

そこでふとあの日の会話に出てきたミスチルのことを思い出したのです。

そこで私はYouTubeの検索欄に「Mr.Children」と打ち込み、そこで聴いたミスチルの代表曲「innocent world」に直感的に魅力を感じました。

 

そこからは買いたてホヤホヤのパソコンでミスチルの楽曲を手当たり次第に漁る日々を送っていました。丁度部活も引退していたので時間は無限にありました。

テレビっ子だった私は「この曲何かのドラマで聴いたことある」っていう曲も多く、その助けもあり気がつけばミスチルの音楽が大好きになっていました。

 

中学3年の誕生日には親にウォークマンを買ってもらった。私はCDレンタル屋に駆け込み、目についたミスチルのアルバムを無差別に借りた。パソコンよりもはるかに手軽にミスチルの音楽が聴けるようになり、私は羽が生えたような気分で、それはそれは幸せだった。

 

高校受験の前日、私は一番好きだったミスチルの「箒星」という曲を聴いて受験に臨み、無事に第一志望に合格した。

また、「箒星」は自分にとっては特に特別な曲となっており、数年後の大学受験の前日にもこの曲を聴いた。その他にも何か特別な日にはこの曲を聴くようにしていた。

 

大学4回生になった現在は様々な音楽に触れてきて、好きな音楽も増えた。その分ミスチルをかつてのように聴き狂うことは今となっては残念ながら無くなってしまったように思う。

それでも、ふとした時に猛烈に聴きたくなることがあるんです。そしてその音楽に対して「懐かしい」という感情が新たに付与されるのです。

 

ふとした時に帰ってきたくなる曲が、自分が本当に好きな曲なんじゃないかなと思います。私にとってそれはミスチルであり、ミスチルの音楽を聴けばいつでも青春時代特有のワクワクやなつかしさを感じることができます。

皆さんにも、そんな曲はありますでしょうか。

 

以上、深夜テンションの睡眠不足マンからでした。