ベースを握ったあの日
社会人2年目。
コロナウイルスにより奪われたものは仕事のやる気だけではない。うっすら埃をかぶったベースを見た時にそう感じた。
社会人になっても、昔みたいにライブができるものだと思っていたが、その予定はことごとく奪われ、安全な箱に磔にされた。
変わっていく時代の中、ベースを始めた頃のことを思い出してみた。
高校一年生の6月。父親にねだって買った4万円のベース。初めて開放弦を鳴らした時の振動は記憶に新しい。
入学式。
クラスには誰も知り合いがいなかった。
出席番号順に並んだ席。四方八方マジで知らんやつ。この時、僕はこのじゃがいも畑で強く生きていくことを誓った。
僕の前の席に座っていたAくんは、僕と苗字が同じだった。Aくんはイケメンだった。背も鼻も高く、外国人のような顔立ちだった。そいつはクラスに中学からの友人がたくさんいて、僕の高校デビュー開幕戦は圧倒的なリードを許していた。
その差は最後まで詰まることはなく、他クラスの女子からは「Aくんじゃない方」「イケメンじゃない方」など、常に「じゃない方の西野」と呼ばれる始末。僕けっこう可哀想じゃないですか??これを読んだみなさんはいつもより2割増しで僕に優しくしてください。
ただ、Aくんはマジでいい奴だった。そいつの付き合ってる彼女がそんなイケイケなタイプじゃないところも好感が持てた。
ある日、僕はAくんと同じ班で、トイレ掃除をしていた。そこでどうやらこのイケメンはギターもやっているということを知った。こいつモテる要素しかないやんけ。明日から俺は「バンドやってない方」とも呼ばれるのか。と思っていたところ、このイケメンにONE OK ROCKを勧められた。
家に帰り、すぐに聴いた。
その時の衝撃は未だに覚えている。
マジで脳が震えた。なんじゃこりゃ。
この時「バンド」というものに憧れた。
これがベースを始めるきっかけだった。
何でベースを選んだのかは分からない。サークルでよく言っていた「弦がギターより少なくてまだワンチャンありそうだったから」という理由がオフィシャルだが、今思えば、このハイスペックイケメンへのせめてもの抗いだったのかもしれない。
これで憧れのバンドを始めるためのスタートラインにはたてた。しかし自分がこれから3年間、スタートラインにテントを張り、ここをキャンプ地とすることになるとは思いもしなかった。
「孤独な基礎練編」はまた気が向いた時に書くとしよう。